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Link's 〜新しい発見、そして未来へ〜

Guest.5 2021.7.14
濱屋総研 代表取締役 濱 哲史

1976年、石川県七尾市生まれ。 アクセンチュア、ジョンソン・エンド・ジョンソン(MBAインターン)、A.T.カーニーで就業。 国内外の製造業・小売業を中心に、マーケティング・戦略案件に従事。 長兄の急逝で七尾に戻り、家業を再建(呉服卸売・飲食・ホテル)、その後会計事務所で修行。 2017年末独立、北陸中心に幅広い業種で上場企業から中小企業の経営指導に従事。 2018年金沢大学非常勤講師、帝国データバンク業務提携。 2019年会計事務所を開所。 TOEIC 900、IESE Business School (MBA, 2007)。

この一刀でどこでも勝負する。「本流」のコンサルティングの切れ味。

Interview STORY インタビュー記事

呉服・飲食・不動産・ホテルの4つの家業を5年で黒字転換

島野:濱さんとは今日初めてお会いします。コンサルタントとしてすばらしい経歴をお持ちですが、まずは七尾で家業の再建を成し遂げた経緯からうかがいたいと思います。
:私は七尾の呉服問屋で4人兄弟の一番下に生まれました。親の脛をかじるわけにもいかないので、自分で自分の道をつくろうと、東京の大学を卒業後アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社しました。その後、新たな道を拓くためIESEビジネススクールに進学。MBAの学位を得て外資系戦略系ファームで企業のグローバル戦略に携わっていた頃、七尾にいる兄が他界したんです。
久しぶりに戻った実家は暗く、ギスギスした雰囲気でした。呉服をはじめ、飲食、不動産、ホテルと複数の事業を営んでいたのですが、どれも赤字に陥っていたんです。家族が苦しんでいるのを見過ごすことはできず、それまでのキャリア捨てて七尾に戻ることを決意しました。私が32歳のときです。
当初は妻子を東京に残し、夜行バスで東京から七尾に通いました。毎週日曜の夕方に新宿を出発し、月曜の朝に七尾に到着。そこから土曜の夜まで働き、再び夜行バスに乗って新宿へ。日曜の日中を家族と過ごし、夜は再びバスに乗り込む…という生活を続けました。そんなこんなで4~5年かけて全事業の経営を立て直しました。
島野:全事業をたった4~5年で、ですか。特に七尾駅前のホテルアリヴィオについては、近隣に競合が進出してきたことで稼働率が下がり、一時は事業の存続も危ぶまれていたとか。
:私自身はホテル事業についてはまったくの素人でしたから、まず現場を知ることから始めました。フロントにも立ちましたし、ベッドメイクもしました。と同時に宿泊特化型ホテルについて徹底的に研究し、その中でうちのホテルができることとして、ビジネスマンに特化した「朝食」に焦点を絞ったんです。スタッフと一緒に家電店で炊飯器を買い、おかずを研究し、少しずつ積み重ねて毎日メニューが変わる朝食を実現しました。こうした経緯でホテルアリヴィオはビジネス客の支持を獲得し、大赤字からの黒字転換を達成しました。当時は業界で「これはすごいケースだ」と注目され、全国誌の表紙を飾ったこともあります。

事業再生の答えは「現場」「現物」にある

島野:ホテル以外の事業も現場に入ることから立て直しに着手したわけですか。
:はい。レストランでは皿洗いをし、料理も作りました。スーツなんて着る暇はありません。現場に立たないと何も直せないというのは、現在も私のポリシーとしてあります。事業再生できれいごとを言ってもしかたありません。答えは現場、現物にあるはずですから、まずそこに入っていかなければ。
島野:濱さんにとって家業が事業再生のデビュー戦になったかたちですが、一番苦労したのはどんな部分ですか。
:やっていることは正しくても、すぐに売上がついてくるわけではありません。そこが辛かったですね。四面楚歌で組織に理解してもらうのも大変ですし、考えも行き詰まります。頭の中を整理するために座禅に通いました。
島野:島野電機もリーマンショック後に債務超過で苦しんでいた時期があります。そこから立て直そうというとき、自分にとっては「人」がもっとも重要な要素でした。社員といかに信頼関係を構築していくかという過程で学んだことは、会社の現状、今後のビジョンも含めて、正直に伝えると同時に本気をどれだけ感じてもらえるか!認めてもらえるか!でした。
:それは企業が変化し成長する上で避けられないことですね。事業再生のための要素はそんなに多くはありません。中でも「人」「事業の方向性」「忍耐」の3つの要素は欠かせません。逆にこれがあれば、どんな事業でも立て直せます。
島野:濱さんは家業再生を成し遂げた後、すぐにコンサルタントとして独立したわけではなく、会計士の資格をとって実務経験を積むというステップを踏んでいらっしゃいます。これはなぜなのでしょうか。
:会計士の資格を取得したのは、うちの両親が家業の舵取りに苦しんでいたとき、数字が分かって経営の相談ができる人が身近にいたら助かることが多かっただろうと思ったからです。結果として、コンサルタントとして経営、戦略、会計、投資と企業のニーズにワンストップで対応できるようになりました。

本質の理解なくして再生なし

島野:最近は金融機関もコンサル業務に力を入れています。よく「固定経費の削減を」というアドバイスを耳にするのですが、経費を減らせば利益が増えるというのは当たり前のことで、私としては今一つ腑に落ちません。濱さんのアプローチはそれとは異なりますね。
:本流のコンサルティングは問題の本質を知ることを重視しています。それをしなければ何をやっても上っ面のことでしかありません。極端な例ですが、動脈が切れているのに絆創膏を貼るようなものです。
「利益」「売上」「コスト」といった目に見える事象の裏に、どんなメカニズムに潜んでいるのか。そこを理解しない限り根本的な解決はできません。
たとえば前年対比で売上が下がったとき。市場に競争相手がなだれ込んできているなら、出店戦略を再考すべき。あるいは競合が新商品を大量にリリースしているなら、自社の研究開発のスピードを検討すべき。本質を見ずに「営業の気合が足りない、もっと頑張れ」というだけではだめなんです。
島野:「売上が下がった」という事象は同じでも、その背景や理由はそれぞれ違うということですね。
:コンサルティングの仕事は潜在課題を特定化したり、問題の全体像を構造化することです。簡単にいえば、現状を理解して設計図をつくることです。これでどこから手をつけるかというのも明確に出ます。
島野:お話を聞いていると、これまでのコンサルタントのイメージが覆されます。濱さんはあらゆる業種を対象に新商品開発、海外の事業戦略、組織再編、人材育成といろいろやっていらっしゃいますが、それは本質を見抜く力を持っているからなんですね。

「考える技術」という唯一無二の武器

島野:濱さんは同世代の経営者の厚い支持を集めています。経営と戦略と会計と投資をワンストップで相談できるというメリットもありますが、ずばり濱さん自身の「武器」は何でしょうか。
:戦略系のコンサルタントは他と何が違うかというと、とにかく考えつくすんです。寝ても覚めてもひとつのことを考え続けます。30分考えるだけの、いわば瞬発力は他の人と変わりません。しかし、それを飽きずに諦めずに何百回やり続けることで到達できることがあります。
私の武器は「知識の量」ではなく「考える技術」です。切れ味の良い1本の刀でどこでも勝負します。ご相談いただいた企業の方には私の「考える技術」を伝えていますが、みなさん「これはすごい、使えるね」と感動してくれます。ビジネスだけでなく、どんな場面にも応用できますから。
島野:「考える技術」、ぜひ知りたいですね。「笑わせる技術」では負けませんが(笑)。
最後にコンサルタント業としてのステップアップはどのようにお考えですか。
:事務所の規模を拡大することにはまったく興味がありませんし、お客様は他の誰でもない私を要望されているので、私個人のキャパシティーを超える仕事はできません。そのかわり、起きている間はお客様のためにフルに頭と時間を使います。「足るを知る」というのか、北陸の中小企業の役に立ち、企業が元気になるお手伝いができれば、それで十分だと思っています。

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