石油の地下タンクメーカーとして知名度が高い玉田工業。内殻に鋼板、外殻にFRPを使用した「SF二重殻タンク」では全国トップシェアを誇り、近年は災害対策タンクを含めライフラインインフラ全般へと事業領域を広げている。TAMADA VIETNAM社長を経て2019年6月に4代目社長に就任した玉田善久社長は、創業70周年を機に、玉田工業からタマダへと社名を変更。既成概念にとらわれない発想と行動で100年企業をめざしていく。
島野:玉田社長とは長いつきあいですが、コロナ禍もあって直接会うのは一年ぶりでしょうか。少し痩せましたか?
玉田:いえいえ、会わない間にコロナ太りしたんで、社内のジムに通って鍛えているところなんです(笑)。
畠:会社にジムがあるんですか?
玉田:社員の福利厚生のために何か面白いことができないかと考えていて、本社(金沢市無量寺町)の一画にジムをつくったんです。もともとタンクを製造していた工場なのですが、製造拠点を栃木と熊本に移してからは空いていたんです。20種類ほどのフィットネス器具を設置し、更衣室や浴室も設けました。24時間利用でき、トレーナーもいるんですよ。
畠:すごいですね。社員のみなさんも喜んでいることでしょう。「人」に焦点を当てた経営を実践されているんですね。
玉田:採用、福利厚生、教育、人事考課など、私の経営者としての仕事の90%は人事に関わることです。それが会社の足元を固めることにつながります。
島野:玉田社長はそうやって、経営者として悔しいほどかっこいい一面がありながらも、プライベートでは悔しいほど面白い。笑顔で相手の懐にすっと入っていく。本当にかっこいいの一言です(笑)。
畠:先代社長のお父様から学んだこと、引き継いだこと、というといかがでしょう。
玉田:父は技術者ではなく営業マンだったということもあり、「中小企業は技術より営業だ」「中小の社長はトップ営業マンたれ」という信念を持っていました。私自身も父に倣って顧客の声を直接聞きに行く、取引先と腹を割って話せる関係をつくる、ということは心がけています。
一方で父は毎週一回、必ず社員に向けたメッセージを発信していました。平成の初め頃、赤字が数年続いて社内が動揺したことがあったのですが、その際に社員の気持ちに寄り添い、求心力を高めようと始めたようです。私自身はそうした情報発信まではできておらず、今後の課題です。
畠:タマダといえばガソリンスタンドの地下タンクのトップメーカーですが、競合はどれくらいいるのですか。
玉田:全国の鉄工所がタンクを製造していた時代もあったんですが、タンクの大型化や規制強化があって、約30社に絞られました。そこから廃業や一部統合などを経て、現在は片手で数えられるほどになっていますね。
島野:昨年、ヨーロッパで2035年からガソリン車の新車発売を禁止すると発表があり、アメリカでもカリフォルニア州が追従しています。自動車の動力源の脱石油化が世界の潮流です。そうした外部環境の変化についてどう考えていますか。
玉田:国内でも、1995(平成7)年のピーク時には約6万軒のガソリンスタンドがありましたが、2020(令和2)年末は2万9千軒と激減しています。国が「2050年までに温室効果ガス排出量ゼロ」の方針を打ち出したこともあり、今後も毎年1000軒のペースで減っていくと予想されています。特に北陸は厳しいですね。ただ実際にガソリンの需要がゼロになることはないので、設備投資が増加している首都圏に営業をシフトさせていく計画です。
畠:意外ですね。地方のほうが車社会だからガソリンスタンドの営業は堅調という印象がありますが、実際はそうではないのですね。
島野:タマダとしても、今までと同じ経営では立ち行かない、という危機感は常にあるのでしょうね。
玉田:地下石油タンクへの依存度を抑えることには以前から取り組んできました。具体的には、売上比率を現在の80%から2023年に50%にまで下げる、という目標を掲げています。そのために新製品や新事業を立ち上げ、新しい市場に挑戦しています。
近年は、企業や医療機関などのBCP(Business Continuity Planning, 災害など緊急事態における事業継続計画)に関連して、ビルの燃料タンクや貯水タンクの売上が増えています。また新規事業として、地下タンクの遠隔監視システムを開発、提供しています。
島野:システム開発を行う体制はどうやってつくったのですか。
玉田:専門の事業部を立ち上げて、人材を集めて、というかたちです。大学との共同研究も行っています。
技術者によっての法的業務点検から、ITを利用して常に監視・監理ができるようにシステムを開発しています。このスシテムを利用することにより法的業務点検が免除されます。
畠:ものづくりメインの会社から、タンクに関するハードとソフトを提供できる会社へとステップアップしているんですね。
畠:M&Aを通じて事業の多角化も進めていらっしゃいます。
玉田:先代社長の時代は当社の発展期となったのですが、2012(平成24)年に北海道の同業の会社をM&Aで取得して以来、積極的にM&Aを行ってきました。土木工事の会社もあれば、空調設備の設計・施工・管理を行う会社、食品機械メーカーと、事業領域はさまざまです。
島野:玉田社長の代になってからは?
玉田:愛知の産業機械メーカーをM&Aで取得しました。オーナー社長は後継者がおらず、「社員の面倒をみてくれる企業に自社を託したい」という考えの方でした。こちらとしても損得をとことん計算して決断したわけではなく、人のご縁があって、オーナーの人柄を知って、フィーリングが合ったからやってみよう、というスタンスです。
島野:私も畠さんのサポートでM&Aを行った経験があるので想像できるのですが、事業内容も、拠点を置く地域も、企業文化も異なる会社をタマダグループとしてひとつにまとめるのは、なかなか大変でしょう。
玉田:どう目的を持って、やりがいを持って業務に取り組んでもらうか、ということは常に考えています。そのためにタマダから経営視点が備わった人材を送り込むこともあります。
畠:グループ内のつながりや交流についてはいかがですか。
玉田:各社の次世代を担う人材を集めて勉強会を開くなどして、グループ内の人間関係づくり、ネットワークづくりをやっているところです。新しいシナジーが生まれることを期待しています。
現在19のグループ会社があるのですが、タマダをトップとして、その下に子会社、孫会社があるというマインドがグループ内で定着するのは避けたい。そうではなく、横並びの関係を大切にしたいので、将来的にはホールディング化も考えています。M&Aは今後も活用していきたいと思っています。
畠:ご縁とオーナーの人柄を大切にするM&Aということなら、「島野電機商会」 という会社はどうでしょう(笑)。
島野:う~ん、面白くて、いい会社だけれど、あの会社の社長を制御することはできるかな(笑)。
玉田:絶対無理です、勘弁してください(笑)。
島野:真面目な話に戻ると、創業70周年の節目に「玉田工業」から「タマダ」に社名を変更したんですね。
玉田:当社は1950(昭和25)年、ガソリン計量機の販売・修理を行う玉田製作所として設立し、1974(昭和49)年に金沢市西念に移転した際に玉田工業となりました。おかげさまで玉田工業といえばタンクメーカーというイメージが浸透しました。ただ、いつまでも過去の成功体験にしがみつくのはよくないですし、既成概念は壊すべき。そんな思いで、タマダとして新たなスタートを切ることを決めたんです。
名は体を表すではありませんが、「工業」という枠を外して、新しい領域に挑戦していけたらと思っています。旧社名に慣れ親しんでいた社員はまだ戸惑うことが多いようですが、空にしたタンクに何を入れていくか、一緒に考えていきたいですね。
畠:商号の変更にはそういう深い意味があったんですね。新生タマダをどんな会社にしていきたいですか。
玉田:繰り返しになりますが、一番は社員です。もともと長く勤務してくれている社員が多いのですが、会社が持続的に成長していくことで、誰もが安定して長く働ける環境をつくりたい。売上を大きくするより収益率を上げて、それを社員に還元していきたい。その結果として会社が大きくなれば、それは幸せなことだと思います。
島野:タマダファミリーを大切にしながら、環境変化をチャンスに変えていく、ピンチをチャンスに変えていく。100年企業をめざすタマダの底力が感じられますね。